1  ソースの教訓
 目玉焼きに何をかけるのかと言う話題になると、みんな急に生き生きとし目が輝くような気がします。
身の回りの仲間内や、テレビ・ラジオの番組の中でもこの問題になると、普段あまり発言しない人までも自分はこうだと主張しているような気がする。
好きだったテレビアニメの「こち亀」の中でもこの話題から騒動が始まる話がありました。
ちなみに私はソースをかけるのが好きですが、もちろん醤油の人もいるでしょうし、塩の人、塩コショーの人、マヨネーズ、ケチャップ、味噌が良いなんて人もいるかもしれません。
又、黄身が硬ければソースで、半熟なら醤油なんて人まで出てきます。
 目玉焼きに限らず、人は食べ物をより美味しく食べたいと思っていますが、その好みは人それぞれ十人十色、千差万別。
 単純に醤油派とソース派に分けても、じゃあコロッケはどっちにするのか、アジフライの時は、てんぷらはどうなる、そうだエビはフライもてんぷらも両方あるぞ、カレーライスにかけるのはどっちも邪道なのか、ごはんのおかずにする為にはクリームシチューにかけて色を付けることぐらいは許されるのか、ここまでくると醤油とソースは薩長のごとく同志となり、対クリームシチューという広大な問題にまで発展してしまいます。
私は天下国家を論ずることが苦手だし、家庭円満も切実な願いなのでこの問題はこれ以上深入りせず、話をソースへ持っていきたい。

 子供の時、ソース(ウスターソース)は魔法の調味料に思えて、掛ければ何でも美味しくなるような気がして何にでも掛けて食べた。
ボテッとした黄色いカレーライス、焼そば、焼き飯、八百屋のコロッケ、イモやタマネギの野菜のてんぷら、魚肉ソーセージの輪切り炒め、今思えばソースを掛けて美味しくなった訳ではなく、元々みんな子供の好きな食べ物だったのだと思う。
 しかし、結婚するまでは誰に気を使うことも無かったのでコロッケを食べる時は、中までソースが滲みるよう箸で五六ヶ所表面に穴を開け、そしてコロッケのもとの色が一点でも残らない様にソースを掛けて食べていた。
ずいぶん昔ですが椎名誠の本に「気分はだぼだぼソース」ってのもありました。やはりソースには魅力というか魔力というか、何かありそうな気がします。

 そういえばソースが教えてくれた、人生の教訓もありました。
私がまだ20代前半の頃、会社の先輩と一緒に上司の家に新築の祝いに招かれた。
座卓の上にはエビフライや唐揚げ、チーズを何かで巻いて爪楊枝で刺したもの、といった手作りのオードブルと刺身の盛り合わせが乗っていた。
奥さんと娘さんらしき人は台所で次に出す物を作っていた。
男四五人でビールを飲み、料理を食べた。
「遠慮しないで、どんどん食べろ」と上司が言ってくれたし、寮生活の私や先輩は勿論、楽しい席であった為みんなグビグビのんでバクバク食べた。
そこへ奥さんがやってきて、ビックリした声で叫んだ「お父〜さん、それソースよ」。
なんと、みんな刺身用の取り皿にソースを注いで刺身を食べていたのだった。
誰も気が付かなかった。
みんなほろ酔いで、話は弾んでいたし、ワサビも良く効いていたし、なによりそこの主人が卓上の醤油入れを取ってくれたので、誰もソースに刺身を付けて食べていたなんて夢にも気が付かなかった。
勿論その小さな事件は、より一層その場を盛り上げ宴会は爆笑の中、続いていった。
しかしその時、味覚とは意外といい加減な感覚かもしれない、という教訓も与えてくれました。

 前へ戻る
 ・
 2  ケンタッキー・フライドチキン
 あなたはお酒を飲む人でしょうか?。私は少しですが飲みます。
お酒の種類も、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、ビール、その他色々有りますが、私はビール系が好きです。冷たいビールをコップに注いでゴクゴクと一杯はとても美味しく感じますが、何かツマミが無いと二杯目からが飲めないタイプです。ですからビールを飲む時のツマミは、私にとってとても重要な物なのです。したがって当然のごとく(運動もしていないので)、お腹は出てくる→体重オーバー→やや肥満、という道をたどっています。

 さてビールのツマミは何がいいでしょうか?。
とりあえず枝豆、そして焼き鳥・串カツ・フライドポテト、もちろん焼肉・トンカツ・、唐揚げ、やっぱりお肉類・揚げ物系が多いのですが、焼き魚やお鮨、お好み焼き・焼ソバ・昨日の残りのカレールーでもOKです。
つまり、私の場合たいていの物はツマミになります。
 けれど何か一つ選ばなければならないとしたら、私はケンタッキー・フライドチキンを選ぶでしょう。
 レギュラータイプのケンタッキー・フライドチキンは、一羽の鶏の肉を9個の部分に骨付きのまま分割していますが、その内4組が左右の対称による違いなので実際は5種類の部位によって構成されています。手羽・あばら・腰・脚が各左右一対と胸の5種です。
勿論どれも好きですが中でも、あばらの部分の細い骨に付いた肉を一本ずつ、上下の前歯ではさんでチマチマこそぎながらビールを飲むのが最高です。そうです骨付き肉の良さは、骨にへばり付いた肉を歯で削ぎ採りながら食べる、作業感と野性味です。ちなみに食べた後の骨を洗って乾かし、つなぎ合わせて鶏の骨格標本を作ったヤツがいると言う噂を聞いたことがありますが、あくまで噂です。
 ケンタッキー・ファンの私が各部位を好きな順に並べると、あばら・手羽・胸・腰・脚となり、普段鶏肉を選ぶ時は少しパサつく手羽よりもモモ肉の方が好きなのに、ケンタッキーの場合は逆の順位になってしまうのは不思議です。このことを自分なりに分析すると、私は肉の部分は勿論ですがあのパリッそして少しネチョッとした皮の方がより好きであり、その濃厚な皮部分に対しアッサリした胸系の肉が合うのだと思います。つまり、お饅頭を食べる時、お茶を飲みながらだと饅頭の味がより一層引き立つのに、甘いジュースだと半減してしまう様な感覚です。(この例え方は、合っているのか少し疑問ですが)

 初めてケンタッキーを食べたのは、就職をして会社の寮に入った頃、近くに店がオープンした時だったと思う。そういえばケンタッキーの店そのものがまだ少ない時代でもありました。
大学の時は下宿生活で、お金の余裕が無い時は自炊をしていたような私にとって、肉は牛でも豚でも鶏でも、とても魅力的な存在だった。そんな私にとって歩いて行けるほど近くに出来たこの店は、独身時代無くてはならない店となりました。最初の頃は珍しさもあって一度に5個位食べていたけれど、やがてチキン2個とフライドポテトのセットが私の定番品となり、このセットを買ってその帰りに寮の道向こうにある酒屋へ寄って、1リットルの缶ビールを一本買って来るのがパターンになった。当時、千円でお釣りの出る買い物だった。
 ちなみにビールはサントリーの生ビールが好みで、缶のデザインは松田聖子が歌っていたスイートメモリーのペンギン達だった。
あれから約三十年、今住んでいる所からは一番近い店まで車で1時間、食べる機会も年に数回となりました。

 ところで話は変わるのですが、先日テレビを見ていたら松田聖子の娘のSAYAKAがCMに出ていて、その映像にあのスイートメモリーのペンギン達も一緒に出ていた。ちょっと気の利いたパロディCMだと思い、妻に教えてやったのに見かけたのは、その一回限りだった。妻は何かの見間違いだったんじゃないのって雰囲気て゛、半分信じていない様子だ。最近自分でも自信が無くなって来た。
 私はUFOを見たことがないが、見た人の感覚が少しわかった様な気がします。

 前へ戻る
 
 3  テレビドラマ達
 「コメットさん」と聞いて何を思い浮かべますか?。
「アニメ」をイメージした人、あなたはきっとまだ学校へ行っているような若い人でしょう。
「大場久美子」を思い出した人は今、子育ての真っ最中ぐらいの忙しい人でしょうか。
「九重佑三子」と即座に答えた人は、もうきっと立派なオジサン・オバサンで、孫の顔もすぐに見られる位の方でしょう。(私は、ここです。)
「コメット」=「彗星」と、天文学をイメージした人は今回の話題には縁が無いかもしれません。
 では、「ウルトラシリーズ」ではどうでしょう?。
私は「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」までは見た覚えが有るし、音楽も思い出します。けれどその次となると「タロウ」なのか「エース」なのか、はたまた違うものなのかわからなくなってしまいます。ましてや仮面ライダーやゴレンジャーはさっぱりわかりません。私はそんな年頃です。
 野球にたとえると、これらの番組は見る側の人の年齢によってストライクゾーンに入ったり、始めっから見向きもされないただのボール玉になったりしてしまいます。
 では、ドラマはどうでしょうか?。もちろん見る人の年齢にも影響されるでしょうが、その人の趣向つまり食べ物で言えば「甘い物が好き」とか「豆腐が好き」といったような好き嫌いによってもストライクゾーンが決まってくるような気がします。
 ただ単純に、どんなテレビドラマを覚えていますか?と聞かれて心に残っている私の好きだったドラマの話が今回のテーマです。

  「バラ色の人生」というドラマがありました。寺尾聡、森本レオ、香山美子、仁科明子、が出てくるホロ苦い感じの青春ドラマだったと思う。見た次の日は学校でドラマの内容についてあーだこーだとみんなで話をした記憶があります。番組の音楽にはジョルジュ・ムスタキ「私の孤独」、ジャニス・イアン「ラブ・イズ・ブラインド」が使われていて、それもまた今でも耳に残っています。

 「傷だらけの天使」、ショーケンと水谷豊が岸田今日子の依頼で色々な事件に巻き込まれるという話だった。なんと言っても印象に残っているのは、あの軽快なタイトル音楽の中、ショーケンが牛乳ビンのふたを口で開け、新聞紙をナプキン代わりにして何かを丸かじりしていたシーンです。何をかじっていたのか、トマトだったか魚肉ソーセージだったかコンビーフだったか、忘れました。最近ビールのコマーシャルであの曲が流れた時、オジサン達はきっと牛乳を思い出したはずだ。間違いない。

 「俺たちの旅」は中村雅俊、田中健、秋野太作、が出ていた。ちょうど下宿生活をしていた頃なので、なんとなく自分達に重ね合わせて見ていた。小椋佳の曲が良かった。
ドラマの舞台に吉祥寺、井の頭公園が使われていたが、東京に特別興味も無く縁も無かった私にとって、そこは漠然とした架空のような場所でしかなかった。
 ところが今年ジブリ美術館へ行くこととなり、道を調べていたらなんとジブリは井の頭公園の隣だったのだ。公園の付近をジブリに向かって歩いている時、ここがあのカースケやグズロク、オメダが暮らしていた街だったんだときょろきょろ見渡し、妻や子供とは又違った別の楽しみがあった。

 「前略、おふくろ様」、なんと言ってもこれですねオジサンは。この世界が、ただただ良かった。
ショーケン、川谷拓三、梅宮辰夫、大滝秀治、八千草薫、桃井かおり、そして滝田ゆうのイラストみんな良かった。今でも桃井かおりをテレビで見かけると、つい「え〜と、あれ、恐怖の海ちゃん」と言ってしまう。
 親元を離れ一人暮らしの下宿生活の中、十数枚の十円玉を手に持って赤電話で田舎へ電話する「サブ」を見て、これもまた自分に重ね合わせていた。
 話は少しズレますが、これは一つの自慢なのですが、アニメの「こち亀」を見ていたら両津がお見合いをする話があり、ある料亭へつれていかれた。その料亭の玄関のカットが一瞬映った時、店の表札に「分田上」(わけたがみ)と書いてあった。そうです、この「分田上」こそサブちゃんが働いていた料亭の名前だったのです。この発見は全国的にみても気づいた人は、極めてわずかだろうと自分ながら感激しました。

 これらのドラマはちょうど昭和五十年前後の、ほとんど同時期に放送されていました。
そして、その後は。

 「北の国から」ですね。純と蛍の兄妹が厳しく美しい北海道の大自然の中で育っていく物語だった。これも脚本は「前略、おふくろ様」と同じ倉本聰さんでした。そんなわけか、純が誤解されたりして「そんなつもりじゃないんだけど・・・・・。」と思う時、(どう表現していいのかわかりませんが、イメージとして)うつむきかげんの細目視線で心の中で「アイャー」とつぶやく、その仕草がサブに良く似ていたように思う。

 「ふぞろいの林檎たち」、サザンオールスターズの曲の中、中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾たちが、それぞれに抱える問題を引きずりながら、付かず離れずの友情関係を守りながら大人になっていくと言った様な話だったと思う。脚本は山田太一さん。彼らが大学に入った頃のパートTから会社の中間管理職、父親となったパートWまで作られ、その度に同窓会に出るような気分で見ていた。

 山田太一といえば、「男たちの旅路」も思い出します。鶴田浩二が警備会社の隊長で、部下に水谷豊や桃井かおり、岸本加代子らがいた。もちろん毎回事件や問題が発生しそれを解決してゆくのですが、それは人の心、考え方の違いから起きる事が多く、どちらの言い分も正しくもっともなのにぶつかってしまう、そんな問題を問いかけた。
そういえば「ふぞろいの林檎たち」の場合の問題もやっぱり、どちらの言い分もわかるのにといつた葛藤のドラマだった。

 今回取り上げたドラマ達は、二十〜三十年前のものなので当然、若い人は知らないでしょう。
もし、あなたが若い人でこれらのドラマが少し気になったら、あなたの近くに居るオジサン・オバサン達に聞いてみて下さい。きっと、なつかしそうに、そしてちょっとうれしそうに話してくれるでしょう。

 前へ戻る

4 左回りの法則
 駐車場に車を停めて、ボーとバックミラーを見ているとその中に一台の乗用車が入って来て、空いていたスペースに停め、運転席から人が降りた。左ハンドルの車で左のドアから降りるように見えるので外車かなと一瞬、錯覚してしまうことがあります。
 少年だった頃、全身が映るような鏡やガラスの前に立った時、ボールを投げる仕草をして自分の投球ホームを見てみる事があった。私は右利きなのに、映った私はサウスポーだった。
少年は不思議でした。両手を左右に伸ばして十文字になった自分を見ながら、なんで右と左は逆に映るのに、上と下はひっくり返らないのだろう。・・・・・こんな経験は誰しも有るだろうし、似たような話を読んだことがあるような気もする。ちゃんと答えを出せた人は、きっと理科系への道へ進んだことでしょう。

 ところで、左利きの人はどの位の割合でいるのだろう。クラスに一人か二人居たような気もするし、一家に一人居るような気もする。
左利きの人が左手にペンを持って文字を書いたり、箸を使って食事をしたり、はたまたマージャン牌を左手でつもったりするのを見ると、なんとなく危なっかしく、それでいて思いがけず器用で、その仕草には妙な魅力を感じるときがあります。
 動物にも利き手(足)があるのでしょうか?。ある小学生が疑問を持ち、夏休みの自由研究で近所にいるネコで実験をしたと言う。その方法はネコの前に毛糸球を投げてやり、どっちの前足で先に触るかを調べるというものだった。学問的な評価はわからなかったが、その疑問の持ち方と実験のやり方に感心して、もう三十年程前に聞いた話なのに今でも覚えています。
 さて、このように左と右の世界は深いのですが、ここまでは落語で言う゛枕゛です。

 最近観たテレビで人は夢中で逃げる時、前が丁字路になっていたら左へ曲がる傾向が多いと言っていた。そして陸上競技のトラック競争が左回りで行われているのは人の心臓の位置が関係しているらしいとも言っていた。
 そこで思い出した話が今回の本題です。

 私は学校を卒業して、ある中堅のハム会社に就職しました。営業に配属されセールスとして冷蔵庫の付いたトラックで、担当のスーパーや肉屋さんを回っていました。そんな仕事を十年程経験して、次に企画開発部門へ配属になりました。企画開発の業務内容には、新製品の企画から市場の開拓まで、さまざまな仕事が含まれていましたが、市場調査を兼ねてスーパー等で自社製品の試食販売をするとい仕事もありました。
 ある時、そんな試食販売の為に静岡のスーパーへ行った時の事です。
 ごく普通の身なりをした初老の男性が試食をしながら話かけてこられました。私の経験から平日の昼下がりのスーパーで話しかけてくる初老の男性は、たいがい暇を持て余した方が多く、私にとって興味の無い話を長々とされるケースが多かった。勿論お客様相手に、むげな態度もとれず忙しい振りをして適当に話を切り上げるのですが、この人の話は面白く、いつもと反対に買い物のお客さんを簡単にあしらって、つい聞き入ってしまいました。
 この人は、自分は近くの大学の教授で人間の行動学を研究していると語り始めました。(そのことは本当なのかどうかわかりませんし、話も二十年程前のことなので細かい所の記憶は曖昧で申し訳ないのですが)。
 この教授の話によると、スーパーマーケットの店づくりには人間の行動学が取り入れられており、まず基本となる生鮮三品(青果・鮮魚・精肉)は人が箱型の建物に入った時、安心感のある壁際へ配置をする。これはお菓子や調味料のように、画一化された商品で始めっから目的をもって買われる物に比べ、一つ一つに色や形や大きさそして鮮度などに違いが有り、自分の求めている物を選ばなければいけない商品達です。
 そこで商品は獲物となり買い手は狩人となり、すなわち売る側と買う側との勝負が発生します。戦いの場には緊張が付き物ですが、緊張感があっては商品の売れ行きが鈍ってしまいます。売る側はいかに買う人の不安感を取り除きリラックスさせるかが必要となり、研究している。
 次にその生鮮三品の配置順序ですが、人類がそのはるかなる歴史の中で出会ってきた順に並べた方が、より遺伝子的に安心感を与える。つまり最初は果物・野菜、次に鮮魚、最後に精肉。魚と肉の出会いの順序には差が無いように思って質問したら、現在店頭に並んでいる精肉はほとんどが家畜であり、人との出会いは後になるとのこと。
 そして、そのように計画された売り場でも、回る方向つまり店内を右回り(時計回り)で進むか、左回りで進むかによって売り上げに微妙な差が出てくると説明された。
 答えは、左回りの方が売り上げが伸びる。
 そもそも、人間の生命の象徴とも言える心臓は人体の中心よりやや左側にあり、人は本能的に左を守ろうとする。右手に剣を持ち攻め、左手に盾を持って守る。人類に右利きの割合が多いのはその為かもしれないし、トラック競技のように左回りで走るほうが選ばれているのも、その関係かもしれないとのこと。
 そして、右利きの多い人類はスーパーの店内で左手にカゴを持ち、右手で商品を選び獲るという一種の戦いを行っている。もし右回りに買い物をすると、心臓が勝負する相手つまり商品側になり、獲物(商品)を入れるカゴも相手側になり買い手は不安で警戒心を持つこととなる。よって手にした商品は本当に必要な物や量なのか冷静に判断しようとし、衝動買いをいましめる。
 ところが、左回りに買い物をすると心臓も獲物を入れたカゴも体をはさんだ安全な側にあり、おのずと安心感にひたれる。すると余裕やゆとりといったものが発生し、油断も生まれる。よって必要以上の量を買ってしまう。よりグレードの高い物を買ってしまう。買うつもりの無かった物でも今日は安いからと買ってしまう。
 その右回りと左回りの微妙な心理の差が、量販店では年商に何億円かの差を生み出すとの話だった。
 この自称教授の短い講義は私にとって、初めて聞く面白い話しだった。
 こういった話はその後、レジ横の商品陳列とか、売れ筋商品の棚の高さとか、美味しく見える照明方法とか、耳にしたことがあるので左回りの法則もちゃんと研究された理論なのかもしれません。
 もし、うろ覚えで間違った解釈をしていたら、研究をしている皆さん、そしてこれを読んで下さった皆さんお詫び致します。

 最後に蛇足になりますが結婚当初、私は大垣市に住んでおり、妻は東白川村から嫁いで来ました。
 村には信号も無く、対向車があると先に気づいた方が手前の待避所で待っているといった道がまだ沢山ある頃でした。そんな村内限定免許の妻にとって、片側二車線の道もある大垣の街の中は、とても厄介なもので一キロ程離れたスーパーへ買い物に行く時は、すべて左折で行ってきました。この左回りの話は間違いなく本当です。


 前へ戻る
 
 
 5 私のツチノコ論
 私の住む東白川村の一番の名物は、ツチノコです。
はたして本当に存在するものなのか、そのツチノコについて考えてみました。

ツチノコを考える時、大きく分けると三つの考え方にまとめられると思います。

@空想上の生物説
 竜や河童と同じ様に人の創造による空想上の生き物。(勿論、人によっては異論の方も有るかとは思いますが。)
A見間違い説
 獲物を飲み込んだ蛇、外国産のトカゲ、木の根っこ・・・考えれば、あらゆる物にその可能性が有ります。私も山の中の草むらでヤマドリを見かけた時、一瞬を切り取って考えると「もしかしてこれはツチノコか?」とドキッとしたことがありました。
B絶滅生物説
 恐竜やマンモスの様に過去に実在していたが、今は絶滅して見ることが出来ない生物。
ツチノコの化石はまだ発見されていませんが、「古事記」や「和漢三才図絵」といった日本の古い書物の中にツチノコらしき表記が有ることが、そのよりどころとなっています。
もし現在、それが実在すれば「シーラカンス」の様に世紀の大発見となり、いまだ見つからない状態の時は「ネッシー」の様に夢とロマンの対象となって、人々の心をちょっと熱くしてくれます。
東白川村のツチノコ探索は当然このBの説が基となっており、その真剣度は捕獲した場合の賞金が約120万円という現実味のある姿勢からも伝わります。
現在、目撃証言は多数有ることから神秘的な空気感が村を包み、異次元を感じさせる雰囲気が毎年の「つちのこフェスタ」に全国から人を呼ぶ様です。

さて、ここからが「私のツチノコ論」に入って行くのですが、こじ付けた部分が多々有りますけれど、皆さん広い心で付いて来て下さいね。
今回、ツチノコを「ツチノコ」とカタカナで表記してきましたが、漢字で書くと「槌の子」と表されることが多く、それは寸胴の様な体型からきています。
私はまず生物の「槌の子」が創造される前に同じ発音で「土の子」という言葉が有ったと考えました。
私が思う「土の子」とは一体何なのか?。
昔、その土地には、そこに暮らす人々の先祖を神として祀る社会があり「氏神様」として住民を見守って下さいました。言わば、その土地の「親」であると考えられ、一方そこで暮らす人間は親である神様から見て「子供」、つまり「土地の子」(土の子)と考えられました。何も無かったその時代、その土地の最大の財産は人そのもの「人の能力」だったと思われます。
時代が進み、農耕や漁業が発展し工業も現れ、ゆとりと共に観光も価値を持つものと成ってきました。
そして、全国各地の土地々々の中には肥沃で広い耕地や、多彩な魚が採れる漁場、安定した工業地帯、そして自然や人工で創られた観光地、それぞれがその土地の新しい財産となっていきました。
しかし、そういった場所や時代の恵が無い所はどうしたらいいのか。
この村もそんな場所の一つです。
そこで、ほんの少し前の時代の人が考え出してくれたのが「土の子」、つまり今持っている唯一の財産は「人の能力」なのだから、それを使って土地を守りなさいという原点の教え。
つまり、何も無いのなら何かを創り出して村を興しなさいと見本として見せてくれたのが、この「槌の子」作戦だったのだと思います。
「槌の子」とは「土の子」から生み出された産物で、たまたま同じ読み方であったのか、意図的に同じ読み方にしたのかわかりません。しかし、このほぼ想像の中で生きている物を使ってイベントを行い、観光施設を作り、おみやげを販売し、テレビにも取り上げられ、村の知名度を上げてきました。
何もしなかったことと比べると大きな違いがあると思います。一つの実績を作り出したことに間違いはありません。

先人からヒントとしてもらった「土の子」を、現代の私たちはどうやって育てていったら良いのだろうか。次の「土の子」はいったい何なのだろうか。


 前へ戻る